ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
山本五十六の言葉の中で、広く知られている言葉です。
没後70年以上を経てもそれはまったく色あせないから不思議ですね。
過保護 溺愛 過干渉 放任の違いわかりますか?
「ハイこの通りにして! こうすればできるよ、それは危ないからやめて…」
そう言って、準備万端整え、危ないことをさせないといった、子どもを過剰に守るのが過保護です。
これを続けていると幼稚で積極性に欠け、自分から何かを始めることができない子どもが育ってしまいます。
「これがほしいのね、こうしたいのね、これは嫌なのね…」
子どもの要求の通りに親が用意し、子どもが嫌がるものは親がすべて排除する、これが溺愛です。
これを続けていると自信過剰となり、他人に対して場合によっては攻撃的、反抗的な面が強くなります。
「それはダメ、そのやり方は違う、それはまだ早い…」
こうして子どもの言うことすることすべてに対してジャッジし、行動に制限をかけるのが過干渉です。
これを続けていると自己肯定感が低く、感情表現の苦手な子どもが育ちます。
以上は子どもに関心をもって関わっていますが、放任は無関心で口も出さなければ手も出しません。
つまりほったらかしです。
よく「親は無くとも子は育つ」と言われますが、それは違う意味を伝えたいがための言葉です(^^;)
放任で子どもを育てると無責任な子が育ち、場合によっては社会にとって迷惑な存在になることもあるいます。
でも、ここまで極端な例は普通ありません。
あとはバランスの問題です。
基本的には生まれたばかりの赤ちゃんは守ってあげなれば育ちませんから、やや過保護気味に子育てをスタートするのが良いと思います。
そして子離れをする思春期になったら、放任的な育て方をしても大丈夫なように、それまでにいろんなことを教えていくわけです。
と、ここまでは子育てについて書きましたが、これは上司と部下でも、先輩と後輩でもどこでも当てはまることです。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ
ほめてやらねば、人は動かじ。
子育て、特に何かを教えていく過程においてこれほどピッタリ合う言葉はありません。
どうでしょう。
お子さんを叱ったり、文句を言ったりする前に、きちんと教えたでしょうか。
口先だけで教えるのではなく、やって見せたでしょうか。
これも先ほどのように、子育てだけに言えることではありません。
上司が部下を、先輩が後輩を指導していくといったような、誰かが誰かに教えたり指導する場面ではおよそすべて当てはまります。
「親方から教えてもらえると思うな、技は学び、盗め」
これは昔の話です。
今どき、教えもしないで口出しをしてばかりいては部下は育ちません。
この機会に自分自身を振り返ってみたいものです。
話し合い,耳を傾け,承認し,任せてやらねば,人は育たず
さて、前段の言葉は広く知られていますが、後段の言葉をご存じですか?
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
これも子育てだけでなく、広く当てはまります。
時には話し合いも大切ですし、
一方的に言うのではなく耳を傾けるのもとても大切です。
そして、その後の言葉が特に重要。
それは「承認し、任せてやらねば」ということ。
教えるだけでなく、任せて初めて教えたことが実践で生かされます。
そして任されて実行することで自分の力として定着するわけです。
そして最後のしめくくりが素晴らしいですね。
教えて褒めてできるようになったら任せる。
そこで終わりではなく、その姿をきちんと見て、
「感謝の気持ちで見守る」ということ。
教える段階ではどうしても上下関係が出てきます。
ところが、この感謝の気持ちで見守る段階になると
教える側-教えられる側といった上下関係は薄くなり、
感謝という段階になるとそれはまったくなくなります。
どうですか?
あなたはお子さんの姿を見守って感謝していますか?
あなたは後輩や部下の姿を見守って感謝していますか?
まとめ
ここでは山本五十六の言葉を引用して「教える」ということに絞って触れてみました。
もちろん、子育てでも、部下育てでも、すべてのことに当てはまるものではありません。
時には自分から興味を持って何かを始めるでしょう。
そんな時に、この時とばかり教えないことです。
すべてのことを教えていると自発性が育たず、どちらかと言えば「指示待ち人間」が出来上がります。
子どもや部下が自分で何かを始めたら、時には「教えて!」と教わる側になる度量の広さをもちましょう(^^)/
「おもしろそうだね、そのやり方をお母さんに教えて!」
「〇〇くん、すごいね。そのスマホの使い方を是非教えてもらえないかな」
こんな親、こんな上司になりたいですね(^^)/